moodai
HomeProjectsMemos

起業という選択をした理由

起業
AI
クリエイター
ビジョン

大学卒業を機に、起業という選択をしました。なぜ就職ではなく起業なのか、そして今どんな課題に取り組もうとしているのか。自分の考えを整理して書き残しておきます。

昔からものを作ることが好きでした。小学生の頃からプログラミングや電子工作に触れ、中学では創造的問題解決の世界大会に出場しました。「自分の作ったものが誰かの役に立つ」という体験が、ものづくりへの情熱の原点になっています。

企業に勤めて働くことが嫌なわけではありません。ただ、自分が作ったものが社会に認められ、それで生きていけるなら、そちらの方が自分にとって幸せな生き方だと思いました。その手段として、起業を選びました。

AIの進歩はすさまじくて、文章、画像、コーディング、デジタル領域の多くの作業が自動化できるようになりました。効率化という意味では、もうほとんど限界に近いところまで来ていると思います。以前は僕もこうした効率化の分野に興味がありましたが、今は別の課題に目を向けています。AIの急速な発展によって生まれた、デジタル空間の歪みです。

AIの恩恵を受ける人がいる一方で、深刻な影響を受けている人たちがいます。イラストレーター、写真家、作家、作曲家——デジタルコンテンツを生み出してきたクリエイターたちです。彼らの多くは、何年、何十年もかけて技術を磨いてきました。それが今、AIが数秒で「それっぽい」ものを生成できるようになって、その価値が正当に評価されにくくなっている。

さらに問題なのは、彼らの作品が無断でAIの学習データに使われ、対価も払われていないケースが多いことです。自分の作品がAIに学習され、そのAIが自分の仕事を奪う——あまりにも理不尽な構造だと思います。

「技術革新で職業が変わるのは昔からあったこと。今回も同じだ」という意見があります。確かに、蝋燭職人は電球の登場で仕事を失い、馬車の御者は自動車に取って代わられました。でも、AIには決定的な違いがあります。電球は蝋燭がなくても光り続けますが、AIは人間の創作物がなければ成長できません。

AIモデルの性能を維持・向上させるには、常に新しい学習データが必要です。その学習データとは、人間が生み出したコンテンツに他ならない。AIが生成したものだけでAIを学習させると、品質が劣化していくことが研究で明らかになっています。つまり構造的に、人間の創作活動はAIにとって不可欠な「入力」なんです。

なのに、市場では人間の作品とAI生成物が同じ土俵で比較され、AI生成物の方が「速い・安い」という理由で選ばれてしまう。見た目だけでは区別がつきにくいけど、その構造的な価値はまったく違います。人間の創作がなければ、AIは先細りしていくしかない。この事実に気づかないまま、「もう人間が作る意味がない」とクリエイターが諦めていく。それが、僕が考える最大の損失です。

日本のアニメ・漫画・イラストといったコンテンツ産業は、クリエイターの創作がきちんと報われてきたからこそ発展し、世界的に誇れる文化になりました。でも、AIによる無断学習や作風の模倣が広がる中で、クリエイターが創作で食べていけなくなれば、将来その道を目指す人は減り、この文化自体が衰退しかねない。

映画「ルックバック」の監督が、「AIが絵を生み出せる時代に、それでも人が描こうとするのは、生きることと描くことが同じ衝動だからです」と書いていたのを読みました。描くことが生きることそのものであるような人たちが、生きるために描くことを諦めなければならない世界にはしたくない。あれを読んでから、ずっとそう思っています。

人間の創作活動が正当に評価される仕組み。作品の出所や権利が明確に記録され、使われた分だけクリエイターに還元されるインフラ。これが、今の僕が取り組もうとしている課題です。今は写真や動画の真正性証明に焦点を当てていますが、その基盤はあらゆるデジタルコンテンツに適用できる設計にしています。将来的には、イラストや漫画といった日本が世界に誇るコンテンツ領域にも広げて、クリエイターの権利と収益を技術で守りたい。

まだ何も成し遂げていません。でも、この方向に向かって一歩ずつ進んでいきたいと思っています。


メモ一覧に戻る